2011年 03月 15日
昼の仕事が押しているとき、スタッフの一人が「あ、地震」と呟く。 どうやら12時頃に軽い地震があったようだ。 「全然気づかなかったなぁ」 「結構揺れましたよ」 「そうか、まぁいいや。昼からちょっとヘルプに行ってくるから留守番頼むね」 「はーい」 そう言い残して、自分は知人の職場にヘルプに向かう。 午後2時30分過ぎに帰宅。 スタッフと雑談しているとき、それは突然襲ってきた。 「あ、また地震!」 「ん?そうだな」 そう言ってそのうち収まるだろうと高をくくっていたら、一向に揺れが収まる気配はない。 「長いぞ、取り敢えず玄関のドア開けて逃げ道確保。顕微鏡おさえて、麻酔器倒れないか?」 そんなやりとりをしながら揺れが収まるのを待つ。 「まだ揺れてます」 「ずいぶんと長すぎないか?」 「変ですね」 それでも1分もなかったと思う揺れが収まった。 「地震、雷、火事、親父って言うけど、地震だけはどうにもならないなぁ」 そんな事を呟きながら自宅に戻り何気なくテレビを点ける。 一瞬にして凍り付いた。 テレビの画面には津波で家や車や橋や船や、とにかくその辺にある物全てが押し流されている映像が映し出されていた。 「うわぁ〜危ない、逃げろ逃げろ!」 テレビに向かって無意識に叫ぶ。 流されている映像は陳腐な表現だが、映画のワンシーンそのもの。 ただ違うのは映像が余りにリアルなこと。 逃げたくても逃げられずにトラックの荷台に立ち尽くすドライバー。 Uターンしようにも出来ない車両。 あっという間に波に呑まれていった。 震えが来た。 以前の被災者の方には申し訳ないが、阪神淡路大震災や新潟沖大地震の時よりもいわれのない恐怖を感じている。 それは距離的なものからかも知れないし、放射線の脅威からかも知れない。 もしくは津波の映像をこの目で見てしまったからかも知れない。 被災地で必要なもの。 「人・物・金」 現地に行ったところで自分に何が出来る訳でもなく、ただ足手まといになるだけだろうし、物資を送ることも出来ない自分が唯一出来ることと言ったら義援金を送ること位。 糸井重里さんが「自分に支払われている日当の3日分を送金してみる」なんて事を書いていた。 自分もそうしてみようと思う。 世界中が「頑張れ」と言ってくれてるのに、自国の人間が他人事のような顔をしていられない。
by Wonderfullifewith
| 2011-03-15 10:54
| うちのこと
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